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熱のあと

うーん熱がでてまた色々考えてるな−↓前日記
熱すこし下がった。
仕方ないけど体はよわい。でも、強そうに見える。精神力はある?
だから体動かすことや筋肉使うこと、海に行くのは止めない。止めない方がいいみたい。
以前は、先に身体がこわれるのを自分で「あれあれ??」とびっくりすることが多かった。
会社にいたとき。まだまだいける!と思ってた先に身体には症状が出てしまい(目がおいわさんみたいに腫れていった)まわりには「ブスになったねー」などと言われ、この時ばかりは散々だった。。とほほ。
そして会社辞めて一ヶ月後にものすごいことになった。あんなに一度に色々な箇所がこわれたのは初めてだ。気持ちだけは冷静で。そういやあ昔、昭和天皇の側近のようなお仕事をなさってた方は退職した次の日に亡くなられたなあ というようなことを思い出したりして。びっくりしたけど、そりゃそうかと納得したものだ。
多くの社会人は、身体がこわれていきつつあっても精神力で乗り切ったりしてる。しわ寄せが来ないことを祈るなあ。だって気を抜かないから、気がつかないことなんだもの。ずっと気を抜かないか、早めに知っておくか。疾走はあまりいいものではないかもしれない。でも普通は体ってそんなに弱くないもの?
最近フラを練習中〜。体力増強を狙うぞ!けっこうハードだよ。
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by nemotyucac | 2006-09-17 12:26 | thinking | Trackback

冷たい野菜の感触を

熱のある手で冷たい野菜をことこと切るのは気持ちがよい。
わたしは病気のときほど料理に専念する気がする。そんな時のメニューは、だいたいは根菜と葱類とお豆腐とお味噌でしたてたうどんやおじやだ。こんこんと寝るしかできないときも、食べなきゃ と思う。その度に、今ある食材を考え、ことこと切ざむ手が思い浮ぶ。
誰かがいれば頼むけど、基本的な考えとして食べ物を用意すると頭にあるのは女だからかもしれない。誰かに作ってもらいたいとはさほど思わない。いつでも日常に、ご飯を用意できることが当たり前で、そうでいたい。
会社が忙しすぎてスーパーが開いている時間に帰れなかった日が続いた頃、お店ももう終わりで、コンビニのお弁当で済ましてしまうしかなくて、そんな自分をなんて貧しいんだと思った。収入も安定もあるのに、この貧しさはなんなんだと。夕飯もまともに作れないこの状態は、いずれ慣れていくのだろうか、これが当たり前なのだろうかと思うとぞっとした。わたしはなぜか妙に、ご飯が大事だった。食べられないときがあったからなのか、そこに繋がるかわからないけど。病気の時などは普段よりむしろ作りたくなる。回復するにはそれで十分な気がする。
人といると、作る時間がもったいなくて外食はぐんと多くなる。それはとてもいい時間だし、楽しく食べられれば本当はなんでもいい。お弁当も外でや電車のなかでなら美味しく食べられる。でもあの時ぞっとした感触は、わたしには正しい。そうゆうのを見過ごさず、生活していきたいのかもしれない。
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by nemotyucac | 2006-09-16 18:05 | travel and stroll | Trackback

ひとのおしらせ

お師匠 日下潤一さんの展覧会「あいう絵と本」展は9月15日〜27日まで。
手に取って見る事ができる絵本や本と、さまざまなイラストレーターの作品。
表参道HBギャラリーにて。ぜひご覧下さい。
その後は青山ブックセンター本店の、横山裕一さん「カラー画集発売記念原画展」にも足を運んでみてください。野獣とわたしたち原画、総計150点以上!圧巻です。9月25日まで。

昨日超久しぶりにオープニングパーティに行かせていただいた。どぎまぎしたー。帰宅後熱が出たくらいだ。でも日下さんはきらりんと光っておられて、お話もできた。行けてよかった。会えてよかった。
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by nemotyucac | 2006-09-16 16:45 | thinking | Trackback

有華のせ

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前の日記のつづきー
あ、あれ?腰じゃない。。こんなにでかかったのか!!
これは冬にもう一度訪れた時に撮った。すごい重装備なのは本当に死ぬほど寒いから!
にしても解像度が〜、、。また行けるだろうか。
「有華のせ」ってひらがなで振りがな付きで書いてあるのが泣ける。
見ての通り団地?なので25年の間に人がかなり入れ代わり入居したであろうに。。
よく残っていてくれたよ!
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by nemotyucac | 2006-09-14 18:22 | travel and stroll | Trackback

September

「文明としてのツーリズム」の中で、風景画を描く衝動についても書かせていただいてました。こちら
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ああー思えば旅をする理由もすべて繋がってて、なんだかすごい。曼陀羅みたいだ。。

さて、ついでなので旅のことを書きます。
今まで一番面白かった旅は、実はタイムスリップ。
というのは冗談だけど、かなりそれに近い。
わたしは那須の北温泉という場所がすごく好きで、よく訪れています。
そのふもとの町に、わたしはかつて住んでいました。黒磯です。
なので温泉に行く時は必ず町を散歩します。
小学校に行ったり遊んでいた公園に行ったり。
そんななかで、2つの面白かった出来事。
ひとつは友達の家の前に差し掛かった時に。その家は電気屋さんだったのでお店の中が覗ける。あれ!?あきらかに同世代の、見たような顔が!
入りましたよ地味目にね。「あのー」ガラガラ(ドアを開ける)、みたいな。
突然の派手な訪問者に(その時ラメのカーディガンを着ていた)その人はぎょっとしてましたが、「もしかしてフクちゃんですか?」と聞いたら「もしかして弟のこと?」と聞き返してくれました。お兄さんだったんですね。
呼んでもらいました、フクちゃん。20年ぶりなのに。
変わってなかったー。というか喋りが子供に戻った。お互い。顔や姿は男っぽくなって大きくなって立派なオトナなのに、話すと一瞬で小4になった。ああーこれが幼馴染みというものかと、初めての感覚を味わいました。懐かしいとかじゃなく、恥ずかしいというか面白いというか、とにかく子供に戻ってしゃべりが訛った。
いいなー幼馴染みが身近にいるひとは!
フクちゃんが覚えててくれたのは、わたしたちは探検隊仲間で、男子女子4人で月一回くらい色んな未知の場所に行き、こっそり潜り込んだり隠れたり開拓したりと夢のような冒険を繰り広げていたからです。
あれは本当にいい思い出だー。
そんなんで20年ぶりの再会を果たして、ワンピースみたいな冒険を思い出して、
いい気分で住んでいた家にも行ってみると。
無人のその家の、ドアが、開いた。。
このことは以前書いたかもだけど、開いたので家のなかにこっそり入ってみると、とんでもないものが残ってたのです。
それは柱の傷。
柱の腰のあたりに「56、9、2 有華の背」って書いてあったのです!って勝手に書き込んでーお父さん!!(日付けは父の誕生日)
あれは本当にびっくりしたし、ぐっときました。
もう随分長いこと無人であろうその家、ぼろぼろなのにその柱の鉛筆の文字だけ。
綺麗に掠れずに、残ってた。
多分これを見つけたこの旅が、一生で一番いい旅だろうなあと思ったりもし。
25年前が目の前に存在したこと。
25年間知りもしなかったこと。
本当にタイムカプセルを開けて過去に戻ったみたいでした。
ちょっと前の9月の話。
9月はこんな風に過去を紐解く月なのかも。勝手に後ろでアースの歌が流れるよー
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by nemotyucac | 2006-09-14 02:59 | travel and stroll | Trackback
よしもとばななさんの文章はすきで、よく読ませてもらっている。
見ているものが好きだ。彼女の視点が選ぶ感覚は似ているし。現代の多くの女性はそうかもしれないけど、とにかくダイレクトだ。
よく読み返す小説のなかに「ハードボイルド/ハードラック」がある。ちょっとこわいんだけど、わたしはとてもこの2つがすきだ。
引用させていただくが、その中の、「いつも、どんな時も、どこかに面白おかしくて、楽しいところやきれいなことや、見どころがあった。」というセリフが心から大好きだ。そしてこれはわたしの、座右の銘だ(長いし戒めじゃないような。。)
けれど、世界はこうゆう視点で見えるし、見ていたい。いつでも。
この小説のように、わたしも多くの大切なひとと、同じように会えなくなった。信じられないくらいに、学年があがったり成人式をしたり、そんなのと同じくらい日常に、一緒に笑いあったりテレビを見たり、恋みたいなのを見てしまったり、そうゆう時間を共に過ごしたひとはみんな、いなくなってしまった。わたしが中学校から高校に入学したりしてる間に。
転校も多かったけど、引越とは明らかに違う感覚(だって引越しても20年ぶりに会えたりするのだもの)が沢山やってきた。
誰にでも多かれ少なかれあることと同じようにわたしのあの時以後も、ただ目出たいことや新しいことばかりで彩られてなくて、いつでも色んなものが混じってるのだけどそれは万華鏡のモザイクみたいだし、それを通して世界を見られることは、とても素晴らしいことだと思っている。十代の頃は自分が代わりになればなんて思いつめたりするエキセントリックさや、勝手に背負いこんでる感があったけど、、(ははは)
それにくらべりゃ三十路らくだあ〜。おばさんになったらどんどん余計なことを考えなくなる(こんな書いてばかりだと逆っぽいけどね)
そして、ここに辿り着く間にも、へとへとながらもわたしはずっとそう思っていた。「どこかいつも面白おかしい。そして贅沢だ」って。
なんか15歳から後の人生は貰ったものみたいだ。
なにがあっても、必ず立てること(字のごとく!)。立って歩けること、ご飯食べられること、流れる風景が見られること。それを頭に(頭だし)インプットして出せることなんて、なんて贅沢だろうと思う。
叔母はオーバーワークでしんだ。女性ひとりが暮らすには十分すぎる、仕事ももちろんお金も余るほどだったけど、助けるものは、それではなかったんだと思う。
もちろんここで世間はこうだなんて言うつもりはないし、大切にしてるものはひとそれぞれ違うから、言いたいことは言わない。
元気でいてね。って、それだけ。
だれもが、心も体も、健康でいられるために一番必要なのはなにかだけ、いつでも考えられたらいいのにと思う(ああ、やっぱ説教臭くなった、、)病気になったら尚の事。。それにはただ休めばいいわけじゃないかもだし、働くことや栄えることだって必要なことの一つだと思う。豊かさと貧しさはきっと、紙や名声や他人が測ることではないんだと思う。
「ハードボイルド/ハードラック」も生きてる人の話だ。ぐんぐん進む。だから好きなのかもしれない。
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by nemotyucac | 2006-09-13 01:57 | thinking | Trackback

世話になってるね。

少女漫画みたいな話になっちゃったけど、、本当のことで。
それでなくてもあの頃はいつでも世界は少女漫画!すごい。。
でもこれが絵を描く衝動だから。よかった、なんかこんな漫画チックで。
ずっと消えない衝動のひとつなのだなあと改めてしみじみする。
余談も書く。
入院していたとき、一週間なにも食べられなかった。ちゃんとした食事を取るまで2週間。さて、そのときわたしはどうなったかというと。。
目の前にグラタン、スパゲティ、ハンバーグ、こってりしたものばかりがぷかぷか浮んでくるのです!ま、漫画だ!
でも本当。しかも夢でギンビスアスパラガス(…なぜか)をぱくって食べてるし。本当に口がぱくって。。なんか、、なんか非常に情けない。
人間の隠されたパワー?を見た数日だった。
そしてそういう状態が続くと、今度は体が全く未知の状態になる。
座れなくなってしまうのです。
座ることにパワーがいるなんて想像もできないでしょう。
筋力が衰えると、寝ることしかできない。寝ることすらもままならない。本当に動けなくなる。人間の土台が、基礎が、消えてしまう。あたりまえの基本の動作に、こんなにエネルギーを使うなんて!と、そのなにもできなさに唖然とする。
ソフトボールで培った筋肉も、全部ほんの数日になくなってしまった。
そしてその後、じわじわと時間をかけて筋肉が増殖してく実感もあった。し、脂肪もだけど。。
わたしは15歳のあの時、色んなことを一度に知った。
でもそれもほんの一部なのだ。
今絵を描いていて、それらを、知らないより知っていた方がわたしにはよかったのだから本当に何が幸いするかわからない。絵はそうゆうのをちゃんと受け止めてくれて、なんだかありがたい存在だなあとすごく思う。
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by nemotyucac | 2006-09-11 23:24 | thinking | Trackback

まわり道の少女

少女は19歳でわたしより4つ年上だった。もう社会人でずいぶん大人に見えた。
「会社の冷房がきつすぎてさー。いつも毛布かけてカーディガン着まくってパソコン打ってたよ。それで胃潰瘍になっちゃってさ。」その後の経緯はわからないけど体を壊して診察した際に病気が発見されたらしい。
奥の部屋には22歳の女性もいた。よく、陽の当たるこちらの部屋にも来てくれて、椅子に腰掛け3人でお話した。その場面を思い出すと、水色の、シャボン玉が飛んでるような澄んだ空気色に染まっている。その中でにこにこ笑う彼女達の笑顔が、ふわふわと浮ぶ。
ナイトキャップのパステルカラーや、夏なのに透き通った肌の色で、彼女達の印象は淡い。なのに忘れない強さがある。たぶん笑顔ばかりが思い浮かぶからだと思う。
背景である窓の外には、いつの頃からか蜻蛉の群が混ざっている。

若いドクターが沢山いて、その中で25歳なのに「いい」を「よい」と発する先生がいた。「いいよー」はもちろん「よいよー」だ。そんなの聞いたことない。これには、さらに若い、しかも十代のうちらが反応しないわけがなかった。
とくに隣の19歳のMちゃんはふざけて「よいよいよい、おっとっとー!」と盆踊りみたいに手を振りおどけて先生をからかっていた。とにかくその「よい」先生とは仲良しで聞けば前の入院時から担当だったという。
Mちゃんはもう何度も入退院を繰り返していた。
わたしはまだたった数日の付き合いである彼らの、知らないその長い過去とそこで培われた親密さに少し焼きもちをやいたりした。なんて、なんて無知なのだろう。毎日彼らのおもしろ可笑しいやりとりをうっとりと、羨ましげに見ていたのだった。
Mちゃんが、ある大きな治療を控えた前日だった。その治療は大変痛みを伴う辛いものとのことだった。「もーほんと痛いんだよー!!」と明るくわたしに語ってくれた。その夜。
消灯した部屋にこつこつと靴音が響き、隣でカーテンの薄く開くシャッという音がした。
「Mちゃん?」声をかけたのは「よい」先生だった。
わたしはその日なぜか眠れず横になって目を開けていた。ぱちんと隣のベットサイドランプが付いた時、カーテン越しに彼らの姿がばっちり透けて見えてしまって、かなり驚いた(透けすぎることに)。こ、こんな時間に。しかも若い男女がこっそり!15歳のわたしはちょっと、いや、かなりどきどきしてしまった。
「明日、検査だね。頑張れるかな。」そんなような事を言いにわざわざ来てくれたようすだった。Mちゃんはくすくすと笑顔で「大丈夫ですよー」と気丈に答えた。先生の表情までばっちり透けて見えてしまったから、わたしはたまらなかった。先生は、少し寂しそうな辛そうな笑顔でMちゃんの頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。頭に手を置いたまま、二人はしばらく無言で目を合わせていた。そして「頑張ろうね」と声をかけ、先生は灯りを消し、カーテンを閉めた。

暗くなった部屋で。すごいもの見た…というのが最初の感想。そして、本当に、本当になんて世界は知らないことばかりだと、わたしは見たことも感じたこともないそのシーンを目を閉じ反芻していた。どきどきはまだ止まらない。ただ、はじめての担当であろう患者さんの心配をするドクターの自然な行為(恋心もあったかもしれない)。病院の、夜の一室で、そのシーンは匂いたつような美しさ、だった。今でも思い出すとどきどきする、金色の、光の中に浮ぶ風景。
結局3週間ばかりでわたしは退院した。きっと誰よりも早く誰よりも、元気だったのだろう。担当のドクターや看護婦さんや、少女達と撮った写真が沢山ある。まるで修学旅行のように、何枚も写真に収めて。その時のわたしには本当に旅行だったんだと思う。なんにも知らない、どこに着くかわからない旅。そしてまだ旅から抜けだせないなんて、、その時は全く思いもしなかった!(うーん、、)
少女達の笑顔はずっとずっと、あれから今まで胸の中でぽおと光りじんわり温かく、じんわり、苦しい。ずっと、なんだか少しだけ、わたしは胸が痛い。痛みはきっと一生おさまらない。
でも優しい、水色の空気にしまわれた思い出はやっぱりとても愛おしい。あんなに優しい人達に会ったことがない。患者さんも、そのご家族も、配膳のおばちゃんも、スタッフも、優しすぎて泣けてくる。
全て、ひかりに包まれてるような淡さだ。少女達は若く綺麗で、ひかりに透けてしまいそうだ。その映像を、
わたしは描きたい。ずっと、そう思っていた。
おこがましいかな。でも、仕方ないし、そうしたい。
わたしの永遠のテーマなんだと思う。
最近、やっと、すこしだけ、楽に描けるようになった気がする。
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by nemotyucac | 2006-09-09 02:02 | travel and stroll | Trackback

夏じまいの雨

さて、またすこし遠回りして、夏のことを書きます。
今日東京は冷たい雨。もう夏がしまわれていくー。なんともさみしい。
気が付くと夜は虫の音があって(ってうちのまわりは恐ろしいほどに皆無、、)
月の輪郭が妙に眩しくて。
もう秋の夜空なんだなあと思う。
蜻蛉は、ずいぶん見なくなったと思いませんか?
幼い頃なんて群になって、夕暮れ空に模様みたいに跡を付けていたのに。あんな風景随分見ていない。十何年前までは東京だって見られたのに。
この夏の濃い色が薄れて秋に差し掛かってくあたりは、いつでもすこしセンチメンタルで(ははは)いつでも何か忘れているようで。今は一年で一番好きな季節を通過してるさいちゅう。

そんな今に至るちょっと前まで。結局今年も海は10回以上行った。
海に惚れ込むひとになるとは思わなかった。べたべたするとか面倒だとか。そうゆう気持ちより楽しめることの方が重いことに、なんで気が付かなかったんだろ。肌も健康も、どんなに慌ただしくても今の方が元気。昔の慌ただしさと質が違うんだなあと思う。今は、海がめんどうに感じなくなった。すごい変わった。海では海ストレッチと海ヨガと海ダンス。
都会はひとが作ったものばかり。そこが魅力でもありつまらないとこでもあるんだなあ。

と虫の音のない都会から思いを馳せて、それでも最後はちゃんと海じまいもできた夏だった気がする。
夏はもう終わるかな。
その前にインドカレーを食べに行こう。
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by nemotyucac | 2006-09-06 21:07 | thinking | Trackback

つぎのまがり角

今日もまわり道して叔母のことも書く。
一昨日が命日でわたしは遺影に、ご飯と自家製漬け物とウイスキーロックをあげた。
そして日々のお礼を言ったり、ついでにくだらなくも切実なお願いごとをしたりした。
日常に人を亡くすことが馴染んでいて、自分でも少しこの部屋へん?と思いつつ。
そういえばあの時、彼女は駆け付けてくれたはずだ。
ちょうど一昨日の当時。ICUに。
手術を終えたわたしは鼻にハンケチーフほどのガーゼを詰めて(たぶんもっと)、目を覚ますとふがふがなんだか余計な冗談をしゃべった覚えがある。ドクターに「ははは、あ、今鏡は見ない方がいいよ…」と微妙に制せられながら。それにしてもそんなときまでサービス精神が働くなんて。。。
あほな会話がなされてるとはつゆしらず、部屋の外には数人の親戚が見守っていてくれた。(あまり定かではない。)叔母はよく、見舞いに来てくれた気がする。
優しい優しい人だった。彼女はそれから8年後に亡くなった。現在からいうと、8年前、になる。
わたしは開頭手術はしなかった。そのかわり骨のトンネルに顕微鏡を通して行う繊細なやり方をしてもらっていた。(ガーゼはそのせい。)ドクターは高倉公朋教授だ。
余談だが、高倉先生はとても著明な方で、教授回診は白い巨塔のよう、でした。じゃじゃじゃーんと多くの若いドクターを引き連れて穏やかに話しかけてくださったのを覚えています。
なにはともあれその後の回復は順調で、数日後相部屋に戻った。
そして隣に越してきた女の子と仲良くなったのだ。
つづく

追伸:なんか中途半端な内容でごめんなさい。。
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by nemotyucac | 2006-09-01 02:43 | thinking | Trackback

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