<   2005年 12月 ( 11 )   > この月の画像一覧

2005年を振り返って

本年は、多くの方と出会え、多くの方にあたたかいをいただいた一年でした。
絵を通して繋がった縁は、「ああ、大きくて優しくて大切なんだ」と、改めてわたしに気付かせて下さったのはみなさまのおかげです。
あれ、すごく幸せかも と思ったことしきり。です。ふふ
過去には絵を理由にいろんなこともありました、、。まあそれは別の機会に書くとして。
でもそれまでのほとんどの出会いやお仕事も、振り返っても、やっぱり大きくてあたたかい。
再度それらを思い返すと、自分のすごくちいさいとことか、周りのあまりにもの偉大さとかがはっきりわかる。反省もしきり。。ああ、でも嬉しい。そういう出会いがあって。
心からみなさんにお礼をいいます。ありがとうございました。
来年もがんばります。
あ、もうちょっとまともな文が書けるようにもがんばります、、。
[PR]
by nemotyucac | 2005-12-31 14:53 | thinking | Trackback
今日でお仕事納めの方も多いのかしら。お疲れさまでした。よいお年を!
毎年この言葉を言って、楽しい気分になる。にっこにこで言う。結構知らない人にも言う(もちろん接点はあるけど)。会うのが今年は最後とわかってる方には、心を込めて言いたい言葉です。「よいお年をー!!」
e0086807_17512549.jpg

[PR]
by nemotyucac | 2005-12-28 17:53 | thinking | Trackback
昨日は近所、はるばる亭にて、小忘年会だった。
なぜかどんより暖簾をくぐってしまったのだが、むむこれは何かあるぞの予感。このどんよりは嵐の前の凪だ!
最近よく会っているKとわたしが勝手にオカルトっ子と呼んでいるYちゃんが先に来ていた。Kに借りた本の話などしながら、濁り酒をすこしだけ頼んだ(すこし禁酒してるのだ)。
するとオカルトYが、「ねもっちゃんはこの濁り酒のようなオーラが出ている」などとのたまう。濁ってるよ!ものすごく沈澱してるよ!まったくなんてことを言うのだ。
それを聞いていたKがすかさず、「ねもっちゃんは最近散歩しながら木にお祈りしてる」と誤解を招くようなことを暴露する。違うのだ。田舎などを歩いていると、おお!なんかこれは!というようなものすごい生命力の木があったり、日溜まりがあったりして、なんとなく自然に手を合わせていたのだ。無宗教なのに、わたしは妙に信心深い。
最近「一切衆生、悉有仏性」という言葉を知り(世界のありとあらゆるものにはブッタとしての本質が宿っている ということです。『木が人になり、人が木になる。-アニミズムと今日』(岩田慶治さん作 人文書館刊)から引用させていただきました。 このご本、それらに興味のない方でも面白い。おすすめ!)、もしかしてそういうことだったのかも と言うと店のご主人が身を乗り出して「びっくりした」と言う。
ここに来る前にちょっとお腹が痛くなったのだけど、僕のやってることは菩薩業なのだ、がんばろう と思い仕事に取り組んでいるうちに痛みも引いてしまった。今日ここでそのような話を聞いたり、話したりするとは思わなかった。そんなような事を言ったのだと記憶する。菩薩業!なるほどね!
告白するがわたしは仏像好きで特に中宮寺と鞍馬寺と相国寺の菩薩像に目がない(ブロマイドも持っている)。なので菩薩についての情報はばっちりだった。偉くならずに辛い場所にとどまって救済に尽くしてるなんて、なんてかっこいいかた達なんだと憧れていたのだ。だからもちろん自分に置き換えるなんて恐れ多いことは思いもしなかったのだが、でも、もしかして最近思っていた「絵を自分のためだけじゃなく描きたい」と願う気持ちは、菩薩業を実行したいと願う気持ち?と、ご主人の言葉からすこうし合点がいったのだった。わたしもこんな話を聞けるなんて思わなかったよ。いきなり変なことを言ってくれたYちゃんのおかげだ。
誤解のないように書いておくがそこにいるみんな宗教を持っていない。宗教を持つのは悪いことではないけど、持っていない人にとって悪いこともあったりする。勧誘とかね。でも宗教心は誰しも心に留めていいものだ。大昔から日本も世界もそれらが中心を担っていたんだもの。
そのような少し神秘的で大いに間抜けな嵐が過ぎた頃、最後のメンバー秀才Tくんがやってきて、最後は三人からなぜか素因数分解と最小公倍数と最大公約数の使い方を小学生レベルで習った。お皿とおまんじゅうの図解とともに。

※はるばる亭はお酒と肴とご主人の知的でくだらないお話が最高に美味なお店です。宇田川沿いにあるよ。
[PR]
by nemotyucac | 2005-12-27 19:38 | thinking | Trackback
お仕事でクリスマスは明けてしまった。ありがたいことだ。
でも短い時間を使って濃厚な?お祝もできた。
お仕事で使う時間はとても好き。これこれこうしてああすると、これだけ時間取れる と計算するのも好き。大人になってからイラストのお仕事では締め切りを守ってる(当前か)。守り過ぎて寝食を忘れることも多いけど、時間通りに上げるのが好き。そういう時間の使い方ができるのがなんだか嬉しい。あ、美容に悪いね。
お祝もすき。今回は余りにも時間が無さ過ぎて外食になってしまった。でもちゃんとその時間を取れてよかった。いつものように散歩もできた。クリスマスソングを口ずさみながらてくてく歩いた。今日は古い古い街道の上。無理矢理切り開いて作った道路より、断然居心地がよかった。過去にそこを歩いた人々を想い道をなぞった。お祝散歩。

最近の出来事。本屋に行ったらとってもきらきらしていた。最近の本はカバーがカラフル。平詰みが多い。まるでお洋服のようだ。
わたしも本は飾ったり眺めたりしてばかりなので、持ち物として重要なアイテム。カバーで選ぶこと、多い。そういえば雑誌などとくに、じっくりなめるように眺めるだけになってしまう。でもそれでいいと思ってる。何度も何度もページをめくり、目に焼きつけて、大事にしているんだもの。もちろん文字を追ってる、いい文に出会ってる時間こそ至福のひとときだけどね。
明治神宮に行った。近所にいるのに5年の間一度も行かなかった。高三のときのデート以来だ。庭園がなんとも素敵。500円払って入る。もみじが沢山あって、葉も残っていた。池には鯉が沢山いた。原宿とは思えない静けさ。すごくよいところだった。また行こう。
そういえば皇居の、札を貰って入る庭園もよい。本丸跡があるところ。高台にひろい芝生がある。暖かくなったらそこで絶対昼寝しようと思ったものだ。

今年もまだまだ散歩は続く。
[PR]
by nemotyucac | 2005-12-26 04:21 | thinking | Trackback
接客業もすきだ。
面倒なことも多い気もするし、綺麗なことばかりでもない。でもそこが好きなところなのだろう。
たとえばほかほかの美味しそうなご飯を、空腹の人の元へもっていける幸せ。そのご飯を見ているだけで、こちらも嬉しくなる。ご飯は、食べてくれる人のことを思ってそこにいる。そういうのを見たり用意したりできるのが好きだ。
笑顔で挨拶するのも楽しい。なるべく、なるべくならてんぱっていても笑顔でいたい。
つい普段の生活や仕事の時には忘れてしまう!接客業のときはいつもすぐ初心に戻れる。わたしにとっては心を鎮めて次の流れに誘う梁を、作ってくれるお仕事のようだ。
販売員をしていたころ、ノルマがあるので売れなかったりお客さんが帰っちゃったりするといらいらが顔にでてしまう人がいた。でもね、それじゃ逆効果。笑顔で去っていく人を見送れば、必ず帰って来てくれる(ある9階建てデパートの月間売上ナンバーワンだったから、まあ販売は得意な口をたたこう)それは北風と太陽みたいなもの。こちらはあたたかく見守るのが、何より大事。すこしの忍耐を要するところがまた、面白い。
あとはできることなら清潔にしてピカピカにして人を迎えたい!これ、結構デスクワークの頃は忘れてた。お任せだったし。誰かの為にってごしごしするのが、わたしは好きみたいだ。
ものすごく単純なことなのだけど、大切なことが詰まってる気がする。
そうそう、これらは森岡さんが言っていた母親業にも通じることかもね。接客業が母修行になってればいいな。
絵も、本当は自分の為だけでなく誰かの役に立てばとも思う。それは本当はいけないことなのかもしれない。絵を追求することに他人は関与できないからだ。でも、ほんとうはそうしたい。だから自分で感動できるものが作りたい。それはきっと、他の人にも伝わる。
思い遣りがあると、いいんだなあと、思う。うまくいかないことも多いけどできる限り思い遣りを持てるところに身を置きたいようだ。まだまだ接客業という場を借りてでしか実行できて(それも完璧でもないし)いないけど、それがちゃんとできる女性になることは、実は将来の一番の目標かもしれない。
[PR]
by nemotyucac | 2005-12-19 02:38 | thinking | Trackback(1)
e0086807_23124614.jpg
e0086807_23143125.jpg
e0086807_23161042.jpg
e0086807_23163252.jpg
e0086807_23164479.jpg
三鷹駅南口を下りてしばらく行くとさくら通りという道の十字路に差しかかる。
そこを左折し三分程歩くと、小さな三角形の角に、こじんまりとしたケーキ屋兼喫茶店がある。そこが「さくらのみち」だ。
オーナーの森岡さんは来春まで育児休業なのだが、彼女の店に集まる常連さんは、彼女の息子の状態をいつも体験している心地だと、わたしはひそかに思っている。
というのは、森岡さんの、いつも淡い微笑みをたたえたやわらかい表情と思いやりのある人柄に、まるで母親のような安心を見出せるからだ。だから、常連さんは必ず彼女とお話をする。そして、時に笑い時に癒され、満足した様子で帰路につく。早く開かないかなあと、心待ちにしている方も多いらしい。この小さなお店の中は、母親の胸の中のような温もりに満ちている。彼女が、お店とお客さんを心から大事にしている故だ。

わたしはここで、最初の名刺や案内状のイラストを描かせてもらった。今はメニューや案内ボードの他、絵を飾らせてもらっている。5年前からの付き合いだが、それからずっと応援して下さり、お店のオープン時にも数々の気遣いをいただいた。
今日は子育てのコツを聞いた。笑顔で接することだけだよぉと彼女はゆったり言う。ただそれだけだけど、難しいことだ。彼女のお子さん達を見ると、彼女の言葉のただしさは歴然なのだ。いい感じなんです。
わたしも今日は回帰したような、夢見心地で帰宅した。再オープンしたら、是非手作りケーキとともに、彼女の笑顔も多くの人に味わってほしいと願う。
[PR]
by nemotyucac | 2005-12-15 23:21 | other works | Trackback

人形町では

e0086807_3363856.jpg
e0086807_3364670.jpg

あ、ちっちゃい絵が二つ。

・あめんぼうのようなもの:2
・それは花火のような虫
[PR]
by nemotyucac | 2005-12-15 03:39 | exhibition | Trackback

渡鳥が上空を通り過ぎる

さて、前に書いたことは母の思い遣りでもある。
子供の幸せを願う余り、こうしたら?という言葉が増える。
ありがたいことだ。
これを踏まえた上で、では幸せとはなんだ?と考えたくなった。
幸せ程個々に自由に捉えていいものはないと思う。家にいたころもみんなががみがみしながら居間に集まっていたが、なんだか幸せだった。絆は、とても、あたたかい色でそこにあった気がする。
会社を、絵を描きたい理由で辞めてしまった。そのまま会社にいた頃と同じようにお仕事になればそれはとても嬉しいがそれより、いつでも絵を描けるスタンバイ状態の、心を、保っていられることが、よかったと一番思えることだ。
心を保つって、とても大変。ホルモンバランスは崩れるし体も弱い。だから重視した。絵を描く以外のことも大切。もちろんそうでないアーティストの方は多いだろうけど。健全な心を保つために、なんだか心身とも随分使って操縦している気がする。そうできるのは、わたしには幸せなことだ。
また表現を一直線に追求できるのもそうだ。他の情報に左右されてはうまくいかないところもシンプルでわかりやすい探索法だ。
情報が全てだった頃。
速い速度の情報を追っかけるだけで精一杯だったわたしは、流行を作る人間には向いていないのだろう。きちんと綿密に作っていく世界、すごくエキサイティングだけど、すごく速くて留まって考える暇もなく通り過ぎていき、わたしには少し空しかった。
もちろんそう思わない人も沢山いて、心から尊敬する。
たまに彼等にまだそんなことやってるの!と言われるのは少しかなしい。速い速度で進んでいく彼等にはわたしはよどみに足をとられているようにも見えるのかもしれない。実際そうかもしれないけど‥。でもわたしはそこをじっくり観察して底に沈む小石を拾うほうが好きみたい。少しずつ、発見した小石が増えている。
その存在すら気付かなかったあの頃。
[PR]
by nemotyucac | 2005-12-15 03:19 | thinking | Trackback

若さエキスで若返り

今日は学生のみなさんと会食。
ほんとは全員とわたしは一言でも話したかったようだ。話せなかったのを、帰ってから急に残念に思った。本当は気掛かりだったのに彼等が去って行く後ろ姿を見送るだけで。もうこういう機会はないかもしれないのに。
この2年で知り合いになった学生さん達は、芯が強い。先生同志も見倣うことが多いとこっそり言っている。わたしが20歳のころは一体こんなにしっかりしていただろうか。
その頃の思い出は、家から抜け出してはてくてく歩き、電車に乗って通学は往復4時間で、移動ばかりしてたことだ。その前もその後も、いつでも記憶の中は移動中だ。
そしてたいして何もない場所に、好んで足を運ぶ。足を運ぶ。
それらの記憶は楽しかったのか今は定かでない。何かから逃げていたのかとすら思える。杭のように打ち込まれた芯は、なかった。
どこかに留まりじっくり時間を楽しんだり、たいそうな場所に行き、たいそうな思い出を作れるよう奔走してもよかったのかもしれない。
ただ現在のわたしが近所で未だにぎょっとしたりときめいたりする何かを見つけるのはこの頃のわたしが頭の中にいるからだ。忘れたくないのは枯れ葉を踏む音、古いマンションの窓枠、錆び付いた「たばこ」の看板などを楽しむこと。
結局人は変わらないのかとも思う。わたしにはたいそうなものは似合わないのかもしれない。でもちんまりとした杭を打つ、場所は見つけたのかも。
今日、学生さんが課題が忙しくて自分の絵がなかなか描けないと言っていた。自分の時間が忙しくて課題に手が廻らないとか、言うわけにはいかないんだなあとちらっと思った。もちろん課題、大切だけどね☆
[PR]
by nemotyucac | 2005-12-08 02:21 | thinking | Trackback

それは花火のような虫

逗子の海にも夜光虫がいるそうだ。夜光虫、見たことありますか?
昨年から2年連続で青森を旅している。海が綺麗なのだ。そして人気のない港には必ず夜光虫がいる。
彼等は海の中で普段はひっそりしている。なんらかの手段で驚かすと、一斉にぺかぺかっと輝く。青森の夜光虫は、それはそれは沢山瞬く。東京の夜景の光ほどに。
輝きは、起こった中心から波紋のように伝達し広がる。すべて一瞬の出来事だ。その様子はまるで、花火のよう。
夜釣をしている人には珍しいことではないらしいが、わたしは初めて見るその光に大興奮して、いくつもの小石を海の中に放った。その度にいたるところで小さな花火が上がる。時には一遍に10個も投げて、大輪を作った。虫にしてみればさぞかし迷惑だっただろう。しかし蛍光緑のその色は、紺碧の夜の海に似合って、とても美しかったのだ。
夜中に海に行くなんてこの辺では酔狂かもしれないが(なにしろ青森では宿の目の前が港だったから)もし少しでも綺麗な水を見たなら、小石を放ってみるのも一興かもしれない。
[PR]
by nemotyucac | 2005-12-05 17:18 | travel and stroll | Trackback