カテゴリ:travel and stroll( 83 )

珍道中をもう少し。

もうすぐエクスで知り合いになった方が日本に来てくれる。
なんか嬉しいし、たのしみ。
彼女は怪しい日本人のわたしたちに、まったく当たり前に惜しみなく時間をくださって、一緒にいてくださった方だ。その自然にそばにいてくれる感じに、心から安心した。
でも普通のことじゃん?と彼女は言うだろう。
ものすごくおいしい手料理でもてなしてくださってわたしたちは感動したのだけど、そうゆうのも当たり前のことなのだろう。
普通の事のようで、わたしは忘れていた事だった。見倣うべきことで恥ずかしくなった。
彼女だけじゃなく、エクスで会った方達はみなさん時間をくださることを大きなこととしていなかった気がする。旅をしてるわたしたちと一緒にいるのは当たり前で、そのために時間はあるのだと言わんばかりだった。自然な流れだったので意識もされてないかもしれない。でもそうゆう気持ちがどれだけありがたかったか。
そしてできないことははっきりノーと言ってくれた。
そのすぱっとしたところにどきっとしたりもしたのだけど、その自分を大切にされてる生き方も、わたしには新鮮だったし見倣うべき感覚だった。
学ぶべきことは、自分を一番大切にしながら人を絶対的に思い遣るということ、かな。
だって自分を大切にできてないから人と比べたり人を基準にしてしまうのではないだろうか。
人を思い遣ってるようで自分が気持ち良くなってるだけってことも、多々あるのではないだろうか。。
車がすごかった。
歩行者用信号機がちょうど赤になったので、わたしたちは立ち止った。
車は横断歩道を両サイドに挟んで数台。全然動き出さない。
「渡ろうとしてたんだから、渡っちゃいな」ということなのだ。
人が渡ろうとしてるなら青でも走り出さない車!
赤でも、渡る人優先の感覚!(そして赤でも車が来ないならがんがん渡る)
す、すげえフランス人!!なんかそこも愛すべきところだったな。

珍道中であった所以の出来事を書いておかねば。
一般家庭の地下室に潜む100体のマネキン。。
本物の銃と機関銃と700着の軍服と、カミカゼ特攻隊のはちまきを手に取るうちらのことを。。
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by nemotyucac | 2008-04-29 14:19 | travel and stroll | Trackback

Aix-en-Provence 珍道中④

石切り場に入った時、大谷みたいだと思った。。

大谷石は、栃木県宇都宮市原産の石で、F.L.ライト設計の帝国ホテルの建築に使われ関東大震災にも耐えた強い石材として有名になった。わたしは宇都宮生まれなので大谷石が小さい頃から身近なのです。
エクスの石切り場は、17、8世紀頃に街を構築するための石を切り出した場所。その時作られた家々は、現在まで美しい肌色を保ち続けている。
セザンヌは四角く切り取られた石の形を、頭の中で再編集し絵を描いた。何枚も何枚も。
それを見た多くの画家達がその絵を評価し、真似し、キュビズムが生まれていったというような説明を受けた。
セザンヌを捉えた石。綺麗なうすオレンジ色の土の石。
その場はすうっと落ち着く場所で、石はじっと存在感を放っていた。
大谷を思ったのはその石肌がなんとなく似ていたから。
わたしはもうすぐ大谷の石切り場でパフォーマンスをする。
誕生石は旅行中ずっと身に付けていた。
最近、石に縁があるなぁと、つい思ってしまうのだった。

そして栃木にも縁があった。
エクスで出会った担当の女性が栃木の方だった。
しかもわたしが住んでいた黒磯の隣町のご出身。
住んでいた場所をよく知る人には、日本でも出会ったことがなかった。
こんな珍しいご縁をこの地で得られたことも、旅を更に深いものにしてくれた気がする。
旅に出る前に、ここ十数年で一番栃木の親戚と関わる機会もあった。
最近ナマリが激増してるのも言うまでもないのデス…

街の色。
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黒猫這い上がる。
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by nemotyucac | 2008-04-19 16:06 | travel and stroll | Trackback

Aix-en-Provence 珍道中③

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セザンヌのアトリエ。
セザンヌってここにいた時ちょっと寂しかったのかなー。そんな気がしてしまった。。


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石切り場。
キュビズムの先駆けになった絵をセザンヌが描いた場所。一般公開はしていないそう。


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サント・ヴィクトワール山。
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by nemotyucac | 2008-04-15 22:56 | travel and stroll | Trackback

Aix-en-Provence 珍道中②

誕生日、年を取る毎にどんどんよい1年になる。
だから今が一番すき。
若いときは若くなくなるってどんなことか想像もできなかったけど、今は楽しくなってゆくために年を重ねている気がしている。老人になったらもっともっと色んな音や言葉やなにかが何なくかわせるようになるのだろう。
三十三路女子において特に思ったこと。公共の場での赤ちゃんの泣き声、子供の騒ぎ声なんかはすでに心地よい音に変わってしまった。
そのうち電車の中でのおばちゃん達の延々と続くおしゃべりや、酔っぱらったおじさんのスケベ話もにこにこと風鈴の音のように聴ける時が来るのだろうか。。(ちょっと違うか?)

エクス日記続き。
ぼさぼさの疲れ顔で参加させてもらった夕食会。メイクを直す暇もなかった。って飛行機降りたまんまの姿を大勢の前にさらすことになるとは!!
そうそう、今回のお仕事はメインゲストではないのでどんな内容だったかは割愛させていただく。多くの人が関わる大きなイベントを、覗かせてもらったというような感じです。
さて、その夕食会、普通にナイフとフォークなのだけど、わたしはいつもナイフでざっざと切って、右手でフォークを持ってぱくぱく食べてしまってるのを、そのまま実行してしまった。テーブルマナーくらいは知ってるが、なんとなく気恥ずかしくていつも利き手で食べてしまっていたのだ。
って、フランスではそれ、ご法度です!
そんなマナー違反を堂々とやってのけていたわたしを全然批難するでもなく優しく気遣ってくれたフランスの方々。
泣けたのが、不馴れでフォークで音を立ててしまった時。謝ったら「気にしないで」と言ってくさだったマダムは、その後同じようにフォークで音を立てた。その後別の日本人がこれまた大きな音を立てた。今度はフランス人の男性が笑顔でわざとフォークをお皿に打ち付けてくださった。
小さなことなんだけど、わたしはいたく感動した。
こうゆう方々を大人というのだろう。ジェントルというのだろうな。
思わずフィンガーボールの水を飲んだお姫さまの話を思い出す。

フランスでは、個々を尊重し合うし、個々が主張するのが当たり前だった。
どんなに変わっていても、どんなに自分の価値観とは違っても、それは他人の生き方であり、誰にも侵されないものだと知ってる人達ばかりであった気がする。
それは在住の日本人の方も口を揃えて言っていた。
日本で沢山働いた後、留学された方もいらした。
どんな生き方であっても、人に迷惑さえかけなければ、尊厳はなくならない。
人の尊厳を奪うなんてありえない。
だからわたしがぼさぼさであっても、状況を理解してくださってる彼らには問題にもならないのだ。

土地の人柄をも、素敵なお土産としていただいた。
初日は、胸に沁みながら優しく過ぎて行った。
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by nemotyucac | 2008-04-14 17:41 | travel and stroll | Trackback

Aix-en-Provence 珍道中①

今日は雨。帰国後2日寝込んでしまいました。
最高に体力を使い果たした感の、20時間の帰路。
すこし復活してきたので、忘れないうちに書いてみます。


パリCDG空港に着いた時も雨だった。もうそんなの慣れっこ。成田へ向う道中の桜が綺麗で、あたたかそうで、飛行機が斜めになってもまだピンク色がほのぼのと光っていたその光景が懐かしかった。パリは寒かった。
そこから20分くらい離れたターミナルからマルセイユに飛ぶ。
パリ行き飛行機の隣はドイツ人の男性だった。8時間くらいちらちらと話したそうにしていて、最後の数時間、やっとお話した。CDG空港でのマルセイユ便発の場所を教えてもらった。教えてもらわなかったら絶対辿り着かないであろう、距離だった。お話できてよかった。
空港では何度も怒られた。成田でも怒られ(化粧水、乳液が100ミリ越えで没収!!三十路なので青くなる‥)パリでも怒られ(写真撮って削除を要求される‥)もう前途多難を覚悟するしかない感じ。片言英語もなかなか通じない!どうしよう!そんなこんなでマルセイユ便の小さな飛行機に小さくなりながら乗り込む。
1時間ほどの飛行中、やっと夜に辿り着いた。
夕焼けが雲の上を幾重にも彩った。高度が下がると街の灯りがキラキラ見えた。21時にして夕焼けを見る。こんなに日の長い国に来たのだなと、やっと旅情を感じた。
空港を出ると「今日はミストラルがすごいんだ」と現地スタッフが言った。ものすごい風に迎えられた私たち。数日前までは珍しく雨が降ったという、皆がエクスと呼ぶAix-en-Provenceに、スタッフと共に向った。
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by nemotyucac | 2008-04-10 18:04 | travel and stroll | Trackback

カレント

どうしたらいっこいっこの波をうまくくぐり抜けていけるのかな。
そんなことを考えながらも絵は描ける毎日。
前は考えてしまったら描く意味もわかんなくなってた。
今は描く意味がわかる。
どうして急にこんな風に変化したかわからないけど、ちゃんと向き合ったのがよかったんだと思う。中途半端じゃなく。
なにがいいことなのだろう。
ひとには全く理解されないことでも自分には大きな作用をもたらす場合がある。
それをどうして見つけたらいけないのだろう。時間をかけてはいけないのだろう。
人は本当に大きな波になる。それに気付いた。
ときどき巻き込まれて突破できなくなる。不思議。たぶん絵をその奥に奥に突っ込みたいからなんだろうな。サーフボードで波をくぐるときみたいに。はやく波に乗った方が楽だしたのしい。それでももっと沖に出ようとして波をくぐる。
なんだかなー
早死にしちゃうよ。
大きな波は一個だけじゃなく、もう全ての人の心だったんだと思う。
みんなが遠巻きに「あーあ無茶して」と思っていたんだと思う。
何をそんなに沖に出ようとするのか。
泳げもしないのに、がんばってるのか。
本当に波乗りみたい。あのものすごい体力の消耗とか、波に巻き込まれたときの上も下もわからなくなる苦しさとか。沖に出るのに妙に時間がかかることとか。
波に乗れたときの気持ちよさとか。
小さな波に乗って安全に返る方が無難だし、十分たのしい。海に入らない人さえいる。
別に大きな波に乗りたいわけでもないよ。技術がないもの。
カレントかなあ。
そうかもしれない。
こわいなーなんか。
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by nemotyucac | 2008-03-23 14:45 | travel and stroll | Trackback

書くの難しいね!

前の日記はなんか変だから消しちゃった!
でも90歳になって、もっと冒険しておけばよかったって思うはなしは、衝撃だった。
仕事においても恋愛においても、実際の休暇の使い方にしても、冒険したかったと思いながら最期を待つのはすこしさみしいことだ。そうゆうさみしさを持って、終えるものなのかもしれない。それはそれで、切なくていい味なのかも。
そうそう、先は長いしな!と書いたけど、実際はそんなことは考えていないような気がする。だからいつ死んでもなるべく後悔は小さくしておきたいなと思う。その基準がたぶん低いのかもしれない。わたしは納得できる絵が描ければそれでいい。
それでも小さな後悔はすでにいくつかある。叶わないものを持つのはわたしは悪いことではないと思う。そこに思いを馳せること、いつまでも大事にしまっておく灯があったこと、そうゆう過去があるのはいいものだと思う。手を伸ばしても届かないものへの思い。絵の中の世界みたい。
それから今書いてるのは、感じたことを書かないと、たぶん胸のなかでダメになってしまう気がしたからだ。以前もそうゆうことがあった。わたしは今の、時々会って話すひとたちが大好きだ。わたしに嘘がなくなったからだと思う。感謝してる方と会っている。それはわたしがそれこそ冒険の末に辿り着いた場所であり人であると思う。
そしてダメにしてしまうのはそれでもわたしの器の容積が足りないからだ。それはわたしの問題だ。容積を増やせるようがんばってるけど、そんなにすぐには大きくならない。それこそ1年に2ミリくらいではないだろうか!だからものを詰め込みすぎて割れてしまわないよう。気を付けながらじわじわ広げていければと思っているよ。
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by nemotyucac | 2008-03-19 13:41 | travel and stroll | Trackback

熟考。

生きることについて。
以前からときどきふと書いてしまってるけど、わたしはこの人生がすきだ。誤解多き人生‥^^;ちょっと書き記す。
これ以上望むものは実はあまりない。わたしがやりたいと息巻いてることは、返したいというのが正しい。いただいたものがたくさんある。それを返すだけだ。だから何も還らなくていいのだろう。
それは目指すものではあるけど、夢であるのかは判然としない。要求とも違う気がする。なんだろう、ただ生きると共に、ご飯を食べて消費していくように、ほとりほとりと路に残して行く跡のようなものの気がする。こういう思いをいただけたことを感謝している。いただけたので同じだけ返そうと思う。そういうことなだけだと思う。そしてそれこそがわたしのお仕事に対する思いだ。実は甘くはないんだよー。
こんなにたくさんいただいていいのだろうかと思う。もちろんわたしには車もないし大きなベッドもない、子供もいない。でも満たされた思いがある。どうしてそうなのかわからない。
ひとつ思い当たるのはこんなこと。もうこの家に戻れないかもしれないと思って出かけることがある。帰宅できればひとつ夢が叶う。そういう小さな叶いが沢山ある。ご飯を食べられることも眠る場所があることも、毎日叶っている。よかったと思う。そのよかったが、重いのかもしれない。もしかしたら大きな病気をされた方はご理解いただけることなのだろうか。
靴のデザインの後悔だけは、もう二度とできないだろうというのが濃厚なので、本当に残念だ。自分で選んでしまった!選んだことには後悔はないけど、デザインを身から離したのは本当に悲しいことだとこれからも思うだろう。すごくすごくやりたいことだったのだと思う。ただこういう後悔があったまま人生を送ってしまうのも、なんだか切なくてよい。叶わないことは、それはそれでいい味わいがある?かな。
そして「返したい」がどうやら子供心へだと気付いたのは最近の、ごくごく最近のことだ。子供の絵も子供を持たないと描けないと思っていた。でもそうではなくなってきた。子供が愛おしい。自分の子供でなくてはいけないなんて、ことはないんだなあと思った。成熟した大人に近付けと願う。なかなかなれないものな気がする。もうひとつ目指すものがあるなら、それはより成熟することだ。
わたしは何もかもを求め過ぎだから何もかもも叶っていないと言われる^^。それが馬鹿だからよくわからない。どうにも求めてるものが見えない(返したいものが求めてるものということなのだろう)。また多くを叶えているような気がする。それは塀の横の残雪に跡を残したいと願うような、地味な求めであり叶えであるのだと思う。意外と長く残る場所にある雪であろうと、わたしだけがこっそり願っていられればいいのだと思う。
本当に変なことばかり書いてごめんなさい!あーあ‥ :Δ;
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by nemotyucac | 2008-03-18 01:46 | travel and stroll | Trackback

みず

昔毎日のように歩いていた大宮の街は、思った以上にやさぐれてて
野蛮で雑多で、すてきだった。
ねじりはちまきを巻いたおっちゃんを久しぶりに見る。
街と対極にあるような清浄とした氷川参道を抜けてざっざとどこまでも進めば、河岸段丘の間の、川の風景。
芦の隙間から夕陽を受けて光るピンク色の水を見る。
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by nemotyucac | 2008-03-13 02:35 | travel and stroll | Trackback

好きなまち。

高円寺まで歩く。。。
中野まで電車で行って、煙もくもく(が有名な?)の焼肉屋で食べる。激辛ト−フ煮がうまい。
中野はわくわくな店がいっぱい!あの飲食店街を歩いてるだけでたのしい。
でも毎回、中華か焼肉かブリックになってしまう。。なぜ。
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by nemotyucac | 2008-03-09 16:58 | travel and stroll | Trackback

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