他になにもいらないもの。

よしもとばななさんの文章はすきで、よく読ませてもらっている。
見ているものが好きだ。彼女の視点が選ぶ感覚は似ているし。現代の多くの女性はそうかもしれないけど、とにかくダイレクトだ。
よく読み返す小説のなかに「ハードボイルド/ハードラック」がある。ちょっとこわいんだけど、わたしはとてもこの2つがすきだ。
引用させていただくが、その中の、「いつも、どんな時も、どこかに面白おかしくて、楽しいところやきれいなことや、見どころがあった。」というセリフが心から大好きだ。そしてこれはわたしの、座右の銘だ(長いし戒めじゃないような。。)
けれど、世界はこうゆう視点で見えるし、見ていたい。いつでも。
この小説のように、わたしも多くの大切なひとと、同じように会えなくなった。信じられないくらいに、学年があがったり成人式をしたり、そんなのと同じくらい日常に、一緒に笑いあったりテレビを見たり、恋みたいなのを見てしまったり、そうゆう時間を共に過ごしたひとはみんな、いなくなってしまった。わたしが中学校から高校に入学したりしてる間に。
転校も多かったけど、引越とは明らかに違う感覚(だって引越しても20年ぶりに会えたりするのだもの)が沢山やってきた。
誰にでも多かれ少なかれあることと同じようにわたしのあの時以後も、ただ目出たいことや新しいことばかりで彩られてなくて、いつでも色んなものが混じってるのだけどそれは万華鏡のモザイクみたいだし、それを通して世界を見られることは、とても素晴らしいことだと思っている。十代の頃は自分が代わりになればなんて思いつめたりするエキセントリックさや、勝手に背負いこんでる感があったけど、、(ははは)
それにくらべりゃ三十路らくだあ〜。おばさんになったらどんどん余計なことを考えなくなる(こんな書いてばかりだと逆っぽいけどね)
そして、ここに辿り着く間にも、へとへとながらもわたしはずっとそう思っていた。「どこかいつも面白おかしい。そして贅沢だ」って。
なんか15歳から後の人生は貰ったものみたいだ。
なにがあっても、必ず立てること(字のごとく!)。立って歩けること、ご飯食べられること、流れる風景が見られること。それを頭に(頭だし)インプットして出せることなんて、なんて贅沢だろうと思う。
叔母はオーバーワークでしんだ。女性ひとりが暮らすには十分すぎる、仕事ももちろんお金も余るほどだったけど、助けるものは、それではなかったんだと思う。
もちろんここで世間はこうだなんて言うつもりはないし、大切にしてるものはひとそれぞれ違うから、言いたいことは言わない。
元気でいてね。って、それだけ。
だれもが、心も体も、健康でいられるために一番必要なのはなにかだけ、いつでも考えられたらいいのにと思う(ああ、やっぱ説教臭くなった、、)病気になったら尚の事。。それにはただ休めばいいわけじゃないかもだし、働くことや栄えることだって必要なことの一つだと思う。豊かさと貧しさはきっと、紙や名声や他人が測ることではないんだと思う。
「ハードボイルド/ハードラック」も生きてる人の話だ。ぐんぐん進む。だから好きなのかもしれない。
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by nemotyucac | 2006-09-13 01:57 | thinking | Trackback

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